ブータン紙の製造工程(日本式

 

 

 三隅町及び石州半紙技術者会のブータン王国への技術指導は1986年(昭和62年)から始まっております。技術研修員の受け入れは延べ14名、専門家派遣は延べ13名となっています。
 三隅町から二回の機材供与を受け日本式の紙漉き技法は浸透しつつあります。ブータン王国には日本にはない原料ダフネが豊富にあり、又三椏も豊富にあります。
 日本の薄くて丈夫な和紙と同じようなブータン紙を製造する事により、国内はもとより海外の市場に売り出す努力をしています。
 ブータン国内には日本式の技法で製造している工場は三カ所ですが、技術的にも完全なものになっていません。
 今後も専門的分野の技術指導を行うこととにより技術力の向上と紙の品質管理を守り、王国全体の協同化を確立すべきであると思っています。
 今後においてはブータン通商産業貿易省が振興策を策定するようであり、今まで以上に技術協力を日本として行いたい思います。
 ここでは三つの工場を比較をしながら紹介します。又、ブータン王国の伝統的な技法の製造工程についての紹介コーナーはこちらです。
参照ブータン地図

 

 

 

 

 

 

 


ブータン紙の主原料のダフネと三椏(沈丁花科)

ダフネは2400m以上で20のすべての県で生息している
三椏は2500m以下の7つの県で生息している     

 

ダフネの原木(タシガン県)
ダフネの葉(ティンプー県)
ダフネの花(ティンプー県)
ダフネの原木生剥ぎ(ティンプー県)
ダフネの白皮そぞり(ジュンシ紙工場)
ダフネの白皮そぞり(タマ紙工場)
三椏の原木(トンサ県)
三椏の原木生剥ぎ(トンサ県)
蒸した後の三椏の原木剥ぎ(ジュンシ紙工場)
 
日本式製造技術の紙工場の内容
ジュンシ紙工場
マンガラ紙工場
タマ紙工場
(ティンプー県ティンプー)
(ティンプー県ティンプー)
(シェムガン県ティンティビ)
1990年11月オープン
1995年8月オープン
1999年10月オープン
 従事者数26名(2001年11月現在)
従事者数7名(2001年11月現在)
従事者数5名(2001年11月現在)
  工場の全景 
原料ストックヤード
煮熟前の原料水浸け
煮熟
煮熟後の水洗
塵取り
叩解
抄造
圧搾
乾燥
選別
和紙及び和紙製品製造

ショップ

各工場へのコメント(2001年の専門家派遣より)

ブータン王国において日本式の手すき紙の製造を最初に行ったこの工場は、昨年の調査と比べて製造工程において工夫を行っている。煮熟や乾燥に使用する木材の調達が難しくなったためもあるが安全面と効率において電気式に変更をしている。また煮熟後に原料が溜まっていたことがすぐに叩解に移すことにしている。しかしながらすべての製造工程に関しての技術面はほとんど変化が見られない。調査の段階ではそれほど品質の良くない紙の注文を多量に受けており、品質の良い紙を製造してなかった。抄造と乾燥においては担当者のカウント制を取っているため出来るだけ多くの紙を早く漉いたり、乾燥したりしているため細かなチェックをしないで仕上げていた。この工場では乾燥終えた紙をほとんど艶だしカレンダーでプレスしているため乾燥での少しのしわは伸びている。用途に応じてはカレンダーも必要ではあるがすべての紙には必要でない。抄造時に厚い紙の場合、乾燥に時間がかかり過ぎるので手前の折り方をしないほうがよい。オーナーであるノルブ・テンジン氏は今年度、原料の試験栽培に関わっており良質の原料の安定した確保を考えている。昨年はマーケットが無く悩んでいたが今年度はフランス、オーストリア、インド、ドイツなどからの多量のオーダーがあるようだ。東ブータンのツァショーやレショーなども含まれているが、無理のない操業計画を立てないと期日に納品出来ない事態も出てくるし、又、品質の面でも違いが出てくるし、労務面でも肉体的及び精神的の疲れも出てくるので気をつけてもらいたい。機械漉きの工場は売却したようでこれから売却金を受け取ることで手すき紙に専念すると言っている。協同組合化にも積極的に自分の考えを持っているし、市場に対しても海外には積極的にセールスしているようではあるが近隣の国の紙及び紙製品に比べ価格面とデザイン面に遅れを取っていることを悟っているので、今後はブータン王国全体の問題として取り組みをしてもらいたい。そして日本式の工場は三カ所しかないので共同販売の素案を立案してもらいたい。昨年の道具づくりの研修を受けており、竹簀はすべて自分の所で作っている。

 

 

 

この工場は6年前に操業を開始したが事情があり現在の場所に移転した。以前の工場に比べ広く明るく能率的な配置となっている新しい工場は、10ヶ月間のブランクがあるが品質の高い紙を作ろうと努力している。日本製のビーターと乾燥機は無いがインド製のものが設置してあった。オーナーのケサン・ユードン氏は日本で学んだ事をすべて従事者に教えているようではあるが完全には浸透していないようだ。抄造においては漉き手は言われた通りに漉いてはいるが、今漉いている紙は何に使用されるのか、用途に応じての紙づくりの工夫が見られない面もある。紙の種類がそれほど多くないので少しずつ教えるようにとアドバイスした。彼女は製品開発に積極的に取り組み、今までになかった製品がショールームに展示してあった。紙質も良く、商品価値も良くなっていたが小売価格が高いようだ。今後は観光客がこの工場にも訪れるようになるので、数がこなせるような商品、たとえば数や枚数を少なくして買いやすい価格にするとか、この工場の特徴が生かせる商品開発などのアドバイスもした。今までの工場では出来なかったことを積極的にやる気持ちを持っているので今後の発展に期待したい。又、品質の高い紙づくりとして板による天日乾燥を考えているようでたった一枚しかなかったが干し板を使用している。将来はティンプーの中心地から板干しの風景が見られるようになることを望む。今後、少人数ではあるが技術指導をきちっと行えば伸びていく可能性がある。昨年の道具づくりの研修を習った従事者は竹簀を作ったりしている事を知り、少しずつでも技術指導の成果が出ていることを嬉しく思った。

 

 

 

 

 

 

この工場は操業を開始して二年経っている。ティンプーのマンガラ紙工場で技術指導を受けているが全体的に技術の未熟さが目立ち、各製造工程に時間がかかり過ぎている。従事者は与えられた仕事を一生懸命にしているがそれぞれの過程のコツをつかんでいないので無駄が多く、能率が悪い。そして一日の中で抄造と乾燥とを兼ねて仕事をしているため集中性がない。兼務しなければならない事情がない限り紙を漉く時は徹底して紙を漉くようにしないと良質の紙は漉けない。又この工場はビーターがないために手打ちで叩解作業をしているため完全な叩解が出来ず、筋が紙の中に入っている。将来はビーターを設置するとのことであるので能率が良くなるに違いないし、紙の質も向上すると思う。今回の技術指導は特に原料の黒皮そぞりと煮熟と塵取り作業を重点的に行った。ここではすべて原料を黒皮で仕入れ、そのままソーダ灰で煮熟しているので紙肌が黒っぽくなったり、塵取り作業時間がかかり過ぎたりしている。原料の選別も合わせて出来るので良質の紙の製造には必要不可欠である。道具(簀・桁等)の予備がないため同じサイズの紙がすぐに作れずにいる。特に竹簀は痛みも早いので予備を持っていないといけないと思う。オーナーのリンチェン・プンツォー氏は良質の紙を作ろうと一生懸命に努力をしており、基礎的な技術指導をきちっと行えば能率の良い工場になるに違いない。この工場では決まった販路が確立できていないのでどのような紙、又、紙製品を作ればいいのか模索している。用途に応じられる製造技術を従事者が身につければこの工場の特徴のある紙が確立されるに違いない。

 

 

 

 

 

 

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